ひっくり返せぬ人生の砂時計

買ったばかりの時計が変だ。秒針が妙なところで止まったままだ。
解説書を見ても、まず字が小さすぎる。色々な型の説明が全部一冊の中に詰まっていて何が何やらわからん。
えーい不良品だ!すぐに販売店に持って行くぞ!



と、さわいでおりましたら、息子が来て、
「ちょっと見せてみ」
と言うやいなや、解説書を片手にひょいと直してしまった。



「さすが我が息子」
と一瞬嬉しくなったが、すぐにがくっときた。
僕の父親は最近買ったDVDレコーダーでの録画をついにあきらめたらしい。
何度教えてもらっても、どうしても出来ないらしいのだ。
僕は非常に案じておった。
まずいんじゃないの?
しかし案ずべきは我が身であった。


ながとも氏が無事に出産とのこと。
たいへんめでたい。


あらたな命の誕生のめでたさを、大切さを、真に理解するのはわれら老人であろう。
命の誕生の度に、
「めでたい、めでたい」
と指差し確認するだけのために、
老人は存在を許可されておるといってもいい。
そのためにパスをもらって君たちと同乗しておるのだ。
時々は席を譲ってもらったりして。


だから、
年老いた政治家が、
「お前もアメリカの人たちといっしょに血をながしてこい」
と、若者を戦場に送り出すなど、もってのほかだ。



「お前もそろそろ死んでこい」
と、逆に送り出されるべきであろう。


売店に修理に出してもらえる保証期間はとっくの昔に終わっておりますのだ。