3月5日(火)


夜の雨上がり、すばらしい光。
今日は巫女の日でしょうか。
あっ、と思い、ほこりを被った本を探し出して来ました。


吉本隆明共同幻想論」巫女論の最後には、
「巫女にとって<性>的な対幻想の基盤である<家>は、神社にいつこうが諸国を放浪しようが、つねに共同幻想の象徴と営む<幻想>の<家>であった。巫女はこのとき現実的には<家>から疎外されたすべての存在を象徴しながら共同幻想の普遍性へと霧散していったのである。」
と書かれています。
書かれていると言われても困ります。ややこしいですね。
自分にもよくわからないので解説はできません。
ぼっちの「自己幻想」
つがって「対幻想」
みんなの「共同幻想
つがう時に、現実の家、男や女ではなく、かみさまやご先祖さまという「みんなの幻想」とつがってしまえば、それは「巫女的」ということなのかもしれません。


最後を「霧散していった」としめたところにぐっと来ます。
自分の生も自分の歌も、民話の今風なバリエーションをひとつふたつたどって、共同幻想の普遍性へと霧散していくのでしょう。


そして次章が「他界論」
う〜む。




さてさて、気を取り直して自然観察でも。
しかし、用具が汚すぎ。