ジュンとネネ


骨までー骨までー骨まで愛してほしいいのおよー


あなたが噛んだ小指がいたいー


赤い夕日が校舎を染めーてー


ほほにちいさななきぼくろ


家事などをしていると、ふと昭和歌謡を口ずさんでいる自分に気づく。
まちがってもピンクフロイドやセックスピストルズは歌っていない。
というか歌えない。
長年反戦運動にたずさわってきた理論家も、その晩年には軍歌を歌うのであろうか。


小学校の一年のとき、ど田舎の学校に転校した。
そこはとても野蛮な世界だった。
まず授業中におしゃべりしていた子の口の中に、
先生がチョークを詰め込んだ。
驚いた。


いじめっ子が少し頭の弱いいじめられっ子を牛の糞の山の中に突き落としていた。
みんながわーいわーいと言っていた。
怖かったがびびったところを見せたくなかったので、
自分もわーいわーいと言ってみた。
悲しかった。
そのいじめられっ子(女の子)の家が、
家というよりはただの掘っ立て小屋で、
それにまた胸をしめつけられた。


職員室の前を「お座敷小唄」を歌いながら通り過ぎた上級生が、
立たされたあげくに、強烈なビンタを何発もくらった。
それは見たわけではない。話に聞いた。
校長は次の日になっても怒りが収まらず、
朝礼の時に、
「職員室の前でふしだらな歌を歌った者がいる!
けしからん!お前たちは絶対にそんなことはするな!」
とふるえながら怒鳴った。
これも驚いた。


というか、お座敷小唄のどこがいけないのかわからなかった。


それが昭和歌謡である。
恋しい我がふるさとである。