コロスケに捧ぐ


不思議な光を見た。
冬枯れの街、
コンクリートで固められ、
流れを失った川。
冬鳥が浮かび、
枯葉が浮かび、
ごみが浮かび、
その向こうに、
半分光となった、
神代の時の男の姿が浮かんでいた。


その光があまりに古いものだったので、
ぼくは驚いた。


光は年をとらない。
なぜなら四六時中、全力を出し切って空間を光速で移動しているために、
時間の中を移動するベクトルを失っているからだ。
それが時空というものの中で生きるものの宿命なんだよ。
と、昔飼っていた犬のコロスケが言っていた。
彼の言っていた事が本当だとしたら、
あの光は、
光であることを半分放棄して男の形を選んだために、
年をとることを許された、
はぐれ光であったはずだ。


逆のことも言える。
男は半分だけ光であることを選び、
神代の昔から生き続けているのだと。


人生に終わりがあるとしても、芸には終わりがない、
とはそういうことにちがいない。
もしコロスケが今も生きていたら、
きっとそう言うと思う。
彼は心優しい犬であり、
また優れた能楽師でもあった。